2019年12月30日月曜日

20191229 res cottidianae

昨晩で,やっと公的?行事を終えて,
自分の仕事に着手し始めました。

1月中に提出する本学教職過程年報に再着手。
法教育関連ですが,民法学プロパーの問題も扱います。
 と同時に,法教育本格原稿にも着手しないと。
 学外学会誌への投稿を落としたものですね。

それから,僕からしたら,無謀な書評の勉強も。
これも,1月下旬提出です。

と同時に,今月末?の月末原稿の勉強も始めています。
図書館が開いていないのが,問題です。

とはいえ,学生マターもいくつか。
そして,これまで,できなかった研究室の整理も。

というわけで,働きずくめなのですが,
そういう意味でのストレスはありません。
却って,これを制限される方がストレス。

研究と勉強を思いっきりできないのもストレスですけど。
教育・研究をちゃんと評価されないのもストレス。
しかし,評価する人が,研究・教育をちゃんとやっていないのだから,
評価できようはずもありません。

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資料整理中,ある複写物をみつけました。
「我われも,『名利の太山に迷惑』(親鸞)して三悪趣(今だけ,カネだけ,自分だけ)に生き,この流れを許容・加担してきたのではないか。流れに抗して身を尽くしている法学研究者の存在は尊いが,我が身を思えば慚愧に堪えない。法の問題は,結局は人間の問題である。法を論究することは,人間を究明し,自己を究明することに帰着しよう。法を問うことで,自己が問われる。法を主体的に論究することは,そこに立つことを意味するのではなかろうか」(名大名誉教授 平川宗信,論究ジュリ16号1頁)。

自分自身のあり方を考えさせられました。

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働き方改革とか言われていますが,
若い人に誤解されたくないのは,
仕事を適当にして,プライベートを重視するってことではなくて,
仕事を一定の時間で効率的にこなして
(これは,短い時間で,多大な成果を挙げろってことを言っていると思う),
残りの時間で自己研鑽に努めよってことだと思います。

仕事を真摯にやっていない,
終わっていない場合,
働き方改革なんてのは通用しないって思っています。

***

公的行事が多かったのですが,考えた・感じたこと。
生きていくに当たって,
会社の序列や,
会社での職階や,
給料や,は,どうでも良いことで,
その人が,会社にぶら下がった生き方をしていないか,
どう生きているか,
何を基準(拠り所)として生きて・仕事をしているか,
真摯・誠実に仕事に取り組んでいるか,
社会のことを考えているか,
利他的に生きているか,などが重要・大切だと思います。
青臭いと言われるかもしれませんが,
僕は,そういう点を重視していきたいと思います。

何度も書いていますが,
要するに,格好悪く生きるなよってこと。

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