リハビリの会計待ちで,携帯を見て,愕然とした。
急いで家に戻って大学へ。職員さん・先生方に謝った。
情けないし,恥ずかしいし,哀しくなった。
3年は全員,2年は大半,最後まで付き合ってくれた。
彼女ら彼らの顔を見て,少し元気が出た。
HSAでは,ゼミ生以外にも,なぜか知っている学生がたくさん。
講義で熱心に発表してくれる学生たちだった。嬉しくなった。
講演は,勉強になるところもあり,
苦労話をもっと聞きたかった。
最後の講評は,内容というか,発表の技法ばかりで,なんだか。
法学系では,ポスター発表は少数なので,
その話しが汎用性をもつものではない。
そういう意識をもっているのだろうか。
officeに戻って,外部原稿の校正を提出。
HSAのまとめをして,図書館に資料を複写に。
相変わらず,読みたい本がたくさん。
しかし,まだ我慢だな。
月末原稿に向き合う。民法改正批判。
病院からの帰り道。
何故か,父親のことを思い出した。
僕は,年老いてからの子だった。
父親は,第二次世界大戦に,15歳で志願した。特攻隊。
戦争が長引いていたら,僕は存在しなかっただろう。
父は,いろいろ世間的に恥ずかしいところもあり
ーここには書けない-,
想像するに周りからいろいろなことを言われていたと思う。
父は,俺はこれをやった,あれをやったと吹聴しないタイプで,
周りからの揶揄?に対しても,泣き言や愚痴を言うことはなかった。
父の死後,彼の人生を知ろうと,日記をいくつか持ち出して読んだが,
寂しい,哀しい,という言葉も多く見られて,
父には本当に申し訳ないことをしたし,父の偉大さを思い知った。
自分で自分の事を語らない,それは僕も受け継ぎたい。
そして改めて,卑しい人間とは向き合わない。
今日,感じたことだ。
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