もろもろ影響が出ていて,申し訳ないですね。
しかし,ここで無理をすると,長く迷惑をかけちゃうので,
21日までは静かに過ごすことにしました。
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小田中聡樹『気概 万人のために万人に抗す』
弟子が先生(小田中)に,学者としての生き方を聴いたものです。
(鵜呑みにしちゃうのはいけないかもですが,)
硬骨の人でしたね。
インタビュアーが先生を表して曰く,
「筋を曲げず,筋を通す」と。まさにその通りだと思います。
学者としての生き方,人としての生き方・在り方に,刺激を受けました。
団藤重光にせよ,刑法・刑事訴訟法学者は,硬骨の方が多いのかな…。
少し抜き書きを。
・原稿を書く際には,本にすることを考えて(体系的に)書く。
・研究テーマはどんどん広がっていく。
・「…裁判官も弁護士も研究者も良心的な存在たるべきである。その良心というのはある種の世界観であり,哲学である。…良心とは何かと言うのは難しい問題ですが,顧みて自らを恥じることのない心だと思います。…」
・「…学者としてはそれ〔国家権力〕に妥協して屈服するか。それとも,あくまで批判と抵抗を貫くか。これは選択だと思います。人間はいろいろと複雑な生き物だから,どう生きるかは人さまざまでいいと私は思います。ただ,譲れない一線というのはある。私の場合で言えばその譲れない一線が,平和憲法であったり,人権であったり,戦後民主主義であったり,幸福追求の権利であったということです」。
・小田中の本書の解題として,副題は,ロマン・ロランの『クレランボー」から取った,と。引用すると,「真に人間である人は,万人のなかでもひとりでありうること,万人のためにひとりで考え-そして,必要な場合には,万人に反対して考えうることを学び知るべきである。真摯に考えるということは,たとえそれが万人に反対することであっても,やはり万人のためである。人類にとって必要なのは,人類を愛する人々は,必要な場合には,人類に反対し,叛逆するということである。あなたたちの良心や,あなたたちの知性を曲げ,人類に媚びへつらうことによって人類に奉仕するのではなく,権力の濫用に対抗して良心と知性の完璧を擁護することによって仕えるのである。けだし良心と知性は人類の声の1つだからである」(ロマン・ロラン『クレランボー』上・下巻,宮本正晴訳,みすず書房,1950年)。
ロマン・ロラン,読んでいませんでした。これから,読んでみます。
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フェイスブックに上げようと思ってたのですが,
こちらに。
研究・原稿を語ることが,
タブーのようになっていると思います。
これが,正常な状態なのか…。
声を上げないといけませんね。
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金取マターか
日本もそうすべきだと思います。
学問・学識の断絶は良くない。
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