講義準備など…。
昨年も書きましたが,
Moodleをいじっていて,
仕事をした気になってはいけませんね。
ついそうなりそう…。
数ヶ月前に学科内の法律の先生方に
共同研究を提案してみましたが,
1人の先生を除いてスルーされてしまったので
ーいかに人望がないか,しかし群れたくはありませんー,
学科のベテランの先生に共同研究を持ちかけてみました。
書類書きも何とかできて,申請はできそうです。良かった。
お互い定期的に原稿を出しているので,成果は確実に出せます。
学科の学生は,そういう点にも目を配って,我われをチェックしてくださいね。
評論家的なことは僕でも出来るのです。
いかにchallengeして,その成果に責任をもつかが大切なんです。
***
コロナ禍での大学はどうあるべきか,と
吉見の本をペラペラと読んでいました。
吉見俊哉『大学とは何か』(岩波新書)
抜き書きをしようと思って放置していたら,
どこを抜き書きしようと思ったのか忘れてしまったけれど。
1つだけ。
「大学とは自由への意志である」。
しかし,この本,大学の歴史の部分については,
僕の専門にも近い話しであり,安心することができました。
そして,読み終えたばかり
同『大学は何処へ』(岩波新書)
Moocやミネルヴァ大学の試みは参考になりました。
あまり認めたくはなかったのですが,
ゼミは,オンラインの方が懇切な指導ができるのではないか,
と思い始めています。
問題は,学生の資料収集リテラシーと,
その過程で生じることがある,資料・文献との偶然の出会い。
却って,大人数講義の方が,対面に合っている,とも思いつつあります。
僕としては,本書で一番面白かったのが,終章で,
「ポストコロナ時代の大学とは何か」。
日本社会の世間を分析する箇所は,
吉見が社会学者でもあることから面白味がある,
というか,参考文献が落ちていました。
ボローニャ宣言とエラスムス・プロジェクトは忘れていたこと。
「大学は,『世間』の風通しの悪さに穴を穿っていく『世間知らず』や『世捨て人』の集まりでなくてはならず,まさにそのような『世間』の常識の外に立ち,それらを横断する外部性こそが,真に学問的な知的創造を生むはずである」。
『知的創造のための自由な時間こそ,すべての学生と教師が失ってはならない貴重な資源であり…,大学再生のための戦略は,何よりもまず枯渇しかかっている共有資源を奪還するための戦略でなければならない」。
大学教授の四類型として,学内政治志向(経済・政治権力)・学外評価志向(文化的維新)を縦軸に,秩序改革志向・秩序維持志向を横軸に,四つのパターン(大学構造改革派(全学),既成秩序維持派(専攻),越境的言論派(メディア),専門的学術派(学会)に分類しているけれど,自分はどれにも当てはまらないな,と感じた次第。一体何なんだ。
寒いと痛むのが,不安の種です。
気持ちが弱くなっていますね。いかん。