少しだけ眠れるようになりました。
しかし,朝は,腰・背中ともにキツい。
月末原稿
(改正民法,土地法制全般)に向けて,
どうしても資料が必要だったので,
図書館で資料収集と複写でしたが,
肋骨に響いて,脂汗ものでした…。
無理しちゃいけませんね。一進一退です。
ついでと言っては失礼ですが,
2年ゼミの資料も複写。
その後2時間使いものになりませんでした…。
身体の不自由さが,
研究を遅滞させていますが,
それを言い訳にしてはいけませんね。
***
前半はどこかで読んだ感じでしたが,
書き下ろしの終章は(も)良かったですね。
いくつか引用。
スペイン風邪への対応を例にとって,
「医学的知識の生産としては限界があったとしても,知の体系化を進めた人々が,『無知の知』にたどりつくまでの知の生産と集積の痕跡は,知と未知とにその社会がどのように立ち向かったのかの歴史を残した。そして重要な点は,そこに,『無知の知』の箴言が教えるように,知への謙虚さが刻印されていたことである。私たちは歴史の高みからそのことを学ぶ」。
「…巨大な無知の知に直面していることを知りつつ,それでもできるだけ信頼のできる情報を集め,それらを比較考量し,直面する未知・不可知に立ち向かっていく。そのような知的で冷静な判断が,徐々にだが新たな経験値や科学的知識の生産・進化に貢献していく。そして,そのためには,『無知の知』が教える,知や知の生産への謙虚さを取り戻すことが重要である」。
その上で,新型コロナウイルス感染症による混乱について,
「…確定的な知が欠落していることを前提にすれば,わかりやすい白黒決着の議論は,知への謙虚さを失わせるものだ。謙虚さが失われれば,知への敬意も同時に失われる。そして,謙虚さも敬意も失えば,生産的・建設的な議論の機会も失われる。多様性(知識の前提の違いがもたらす見解の違い)へも不寛容になる。…」。
「…『無知の知』が導いてくれる謙虚さを身につける方法の1つは,歴史の高みに立って,…知の生産と格闘の過程を追体験してみることであり,困難を含んだそうした知の再生産の場に身を置いてみることである。そうすることで,無知の知の応用として,未知や不確実性とどう向き合うかを習得する。…」
そこで,苅谷は,大学教育に活路を見いだす。
「『無知の知』を生きる方法の1つとして,知の生産の追体験を教育の中に位置付け直す。教えられる知を『所与』と見なしてしまう傾向が強い日本の教育の習性を,少しでも解毒するための提案である。新型コロナウイルス感染拡大のなかで,さまざまな利害が私たちの日常に入り込み,それらをめぐって白黒の決着をつけることに急ぎすぎる事態が生じている。そこから一定の距離を置き,パンデミックとそれに応じる社会の動向を冷静に捉えつつ,教育の場において無知の知を活かしていく方法の提案でもある」。
「…大学は,知の生産と結び付けて知の再生案を行う研究・教育の場」である。
「…巨大な『無知の知」の前で呆然と立ち尽くすのでなく,大量に排出される情報にたじろぐのでもなく,学問という営みが未知と向き合い,それを少しずつでも克服してきた歴史の高みを,現在に作り出すのである。その高みの所在と効用を学ぶだけでも,知の生産への謙虚さが身につくだろう。単純な白黒の議論に飛びつく前に,ひと呼吸おいて考えることも,自分なりにそこで根拠とされるはずの知識について調べ,批判的な検討を加えることもできるようになる。未知と結び付いた不安や焦燥が短兵急な白黒議論を誘発することへの歯止めとして『賢い市民』(educated citizens)にならなければならない。そのためにも,私たちを取り巻き,思考の前提を(多くの場合,無批判・無意識に)提供する知がどのようにつくられてきたのかに少しでも目を向ける感覚を多くの市民が身につける-こうしたことのためにも,大学教育が築きあげてきた学問や教育の強靱さ・しなやかさ(resilience)を試す機会を私たちに与えている」。
苅谷の学問・大学への信頼に共感しました。
力不足ですけれど,
僕の方向性も間違いではないと思いました。
謙虚さは,大切ですね。
今のこの状況をどう考えて,
1年経ったんで,その経緯を記録することも大切だと思っています。
だからこそ,「コロナと〇〇学」を
やらないとならないと思っているのです。
歴史家としての在り方です。
この本の前に,苅谷と吉見俊哉との共著。
発行と同時に買ったのですが,
読んでいる時間がなく…放置。
暫くして,本学のベテランの先生から,
読みなさいと言われて,大急ぎで(年末かな)。
共感できる部分が多くあった本でした。
大学の先生たちにも読んで欲しい本です。
国際化,英語偏重,実務偏重などが
いかに皮相な主張かってことが分かってくると思います。
***
こんなことになったら面倒くさいな…。
追随しないことを願いたいです。
ミャンマーが大変なことになっています。
coup d'etaは,よく分かりませんが,
それで武力弾圧をするのはいけません。
国軍は命令だと言っても,
政体が変わったら(変わらなくても),
いずれ歴史に断罪されます。
SNSが用いられている現在・将来であれば,なおさらのこと。
良心に基づいた行動を望みたいと思います。
いずれにしても,今のミャンマー政府の有り様について激しく抗議します。
※良心に基づいた行動を!と感じたのは,
厚労省の宴会騒ぎにもですよね。
誰か,これは,いけないと感じなかったのか。
黒木の『新型コロナの科学』によれば,
厚労省は,PCR検査の拡大を意図的に抑えた,
ということなので
−このこと自体は,検証が必要です−
身勝手もほどほどにして欲しいと思います。
最近,クーデターという言葉を
全く違う意味で使ってたのを見ました。
なんなんだろう…と思いましたが,
他の人はそう感じなかったのでしょうか。
図書館のお薦め本を,
転出した先生が書いていました。
学生たちへのメッセージですね。素敵です。
僕とは全く違う大学時代を送っていたんだな…と思いました。
僕は,そりゃ酷い。ここに書いたらヤバいことになります。