2022年2月10日木曜日

20220209 res cottidianae

夕方,リハビリから戻った後,
研究室が寒くて仕事になりませんでした。
やっと19時過ぎに少し暖まってくるという。

今年度の法学講演会のまとめを原稿にします。
その原稿に取りかかりました。
そして,読みたかった本も読み始め。
新たな研究の始まりです。

その他,やること沢山。
大物原稿…少しpassionが…。

少し落ち気味でしたが,
やることの多さに落ちている時間はない。

***

それに応えているつもりなんですよ。

「『利他』とは何か」
このブログでも何度かあげてきましたが,
今後の世界の一つの指針は,利他(altruism)。
僕の利他は,アタリを読んで,でした。
 これはこれで,刺激的な発信を続けています。
それもあり,「利他」という言葉には敏感に反応していて,
この本も読みました。勉強になりました。
ケアとしての利他
「ケアが他者への気づかいであるかぎり,そこには必ず意外性があります。自分の計画どおりに進む利他は押し付けに傾きがちですが,ケアとしての利他は,大小さまざまなよき計画外の出来事へと開かれている。この意味で,よき利他には,必ずこの『他者の発見』があります。〔改行〕さらに考えを進めてみるならば,よき利他には必ず『自分が変わること』が含まれているということになるでしょう。相手と関わる前と関わった後で自分がまったく変わっていなければ,その利他は一方的である可能性が高い。『他者の発見』は『自分の変化』の裏返しにほかなりません」。
ハッとさせられました。僕は,アタリ的な-pay forward的な-利他でした。
論理の道の先に真理はない
「現代では,論理上の矛盾のないことが正しさの証しであるかのようになっていますが,現実世界の説明としては非常に脆弱です。現実は矛盾に満ちています。むしろ,矛盾が矛盾のまま表現できているほうが,よほど現実的です。〔改行〕いうまでもなく論理は必要です。しかし,現実はしばしば論理を超えます。利他は,論理の世界で考えるよりも現実世界で経験した方がより確かです。〔改行〕計算された利他は,本質的な意味では利他たり得ないことはすでに見ました。。論理に頼る者は,数字や文字によってすべてを語ろうとする。しかし,そこにはすぐに限界がきます。論理とは違った『理〔ことわり〕』が必要なのです」。
「…自然と『うつわ』のような存在になっていきます。さまざまな存在が入ってくることのできるスペースをつくることで。計画どおりに進むことよりも,予想外の生成を楽しむこと。そうすることで,『利他』の『他」は人間世界を超えて,生類すべてに開かれていきます」。
学問としても生き方としても勉強になりましたね。

何というか,自分のなかに,
新たな軸が生まれつつあるように思っています。
しっかりとした土台を創らないとすぐに崩れてしまう。
言語化していかないとなりません。

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